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http://d.hatena.ne.jp/K_NATSUBA/20070908#1189244303
えーと。
繰り返し使ってるうちに意味が発生してくるような気がしないでもない。
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さておき。
成程、一理、あるいはそれ以上の説得力がある。と、思わなくもないが。
が。
セク母説とソルジャー説は排他関係にない。
イコンとしての強さの説明モデルとしての弱さは、定量化できないので比較できないが、セク母モデルより強いと仮定しても十全の強度をソルジャー説がもっているような気もしない。
セク母、というのが無駄に強力な概念としてオタ界隈で機能する、というのはわかるような気がするが。本来は、象徴としての、とか但し書きつけて慎重に運用すべき概念なんじゃねーかと思うが、ネタとしてガサツに語ってしまえば、成程悪質なプロパガンダとしての流通もありえようか。なにがありえようか、だ。
ハナシが前後するが。ふたつの説が排他関係に無いという点の例示として『エイリアン2』でのリプリーをあげておく。『エイリアン2』において敵もまた(暴走した)母性だ、とか女性プロフェッショナルソルジャー(自爆して死ぬ)バスケスなんかの扱いも含め示唆的やもしれぬ。や、単におれが大好きな映画なので隙あれば話題にしたいだけだけど。
さて。
> 毅然として、無造作に死ぬ、身を鴻毛の軽きに比す1銭5厘の兵士のエトス。シンジはそれを理解できず怖がる、という、『新世紀エ』てそんな話じゃなかったっけか。
として、始まったハナシだと纏めるコトは出来ようけれど。
例の「あなたは死なないわ。わたしがまもるもの」(だっけ?)あたりからはっきりと揺らぐ。
そいで雑巾しぼって「おかあさんみたいだ」「ポ」とかあたりでもうダメだ。「シンジはそれを理解できず怖がる」というだけで『エ』(あるいはアヤナミというキャラ)を語り切っているとするコトには無理があるだろう。
まあ。んなこた百も承知で書いてんだろうけど。鵜呑みにしちゃう人いるかもしらんしな。
で、まあ。イコンとしてのアヤナミは、むー、どうかなあ、コトバ通り図象で見ると、それほどソルジャーなわけでもねえんだよな。いつでも背筋のぴっと伸びた、ってのも結構あやしい。存外セクシーポーズとってたりするし。でも、まあ、確かに母性的な部分が強いわけでもない。や、むりくりに、月や水を象徴的にあれでなにがそれでとか言い出せば、なんとでも言えるけれど。
あんまりアレに考えなきゃ『エ』そのもののイコンとしてアヤナミが機能したと考えてもいいが。無意味なようだけど、そっからじゃねえかな、って気もしなくもねえな。
前後して、
いーつもーピっと凛々しーくー♪
とか、
潔くかっこよく生きていこうー♪
とかもあったしな、いつでも背筋のぴっとした英雄的人格造形に対する憧憬は、まあ、普通に普遍性があって、それだけってわけにもいかんけど、イイよな、やっぱ、と思う。
■追記
傷だらけになって人造の巨人に乗り込み、無言で毅然(きぜん)と敵と戦い続ける綾波への共感はその時代に根ざす。フィギュアとは、無意識の信仰を形にした現代の偶像だろう。経済は立ち直っても、日本人の心には虚(うつ)ろが残ったのか。
えーと。
http://ascii.jp/elem/000/000/065/65496/
うーん。
もはや凛々しく毅然としたソルジャーな偶像・イコンて気がしねえよな。
……われわれはどこから来てどこへ行くのか。