しかし、あれだな。最初にも言ったけれど。
『ま☆マ』世界に眼鏡っコ魔法少女が欠けていたのは、やはり不幸であったよなあ。
 沙羅さん@『JPT』さえいてくれれば。と、思わずにいられぬ。
 

 そも、『ま☆マ』の少女達が『JPT』の少女達のような友情や信頼関係を育める状況になかった、というのはわかるんだけども。
 それを言えば、全部、状況、環境、運命のせい、ってコトになってしまうが。
 それより他に仕方がなかった、なるべくしてなった、おこるべくしておこった、という。
 悲劇というのは本来そういうものだ、とも。
 ふと、

最初の死刑判決後、それこそが彼女が望んでいるものだと語った。2001年になると、なるべく早く死刑が執行されるようにと働きかけだした。彼女は 「私はあの男達を殺して、冷酷に金品を奪った。そしてもう1度やるだろう。だから自分を生きたままにしておくのは何の益にもならない、また殺すと思うから。…自分は法的能力があり、正気で、真実を語ろうとしている。私は人間を憎み、また殺人を犯すだろう」 と語った。
2002年10月9日に薬物注射によって死刑が執行された。アイリーンはアメリカで死刑になった10番目の女性である。

http://bit.ly/fSdD04

 など思い出したり。
 や、映画『モンスター』でアイリーンさんが「そうだよ! 全部環境のせいだよ!」とか言ってたので。
 映画でのそのセリフは愚かで身勝手に聞えるが。映画で描かれなかったアイリーン・ウォーノスさんの生育環境やなんかを鑑みると気楽には反論出来ない*1
 映画の冒頭、アイリーンさんの回想とモノローグで「(少女時代の)私には夢があった。私はその夢を誰にも話さなかったが、信じていた。いつかきっと叶うと」みたいなのがあるんだけど。端的には、お姫様のようになる、という夢。
 それはモノローグでしか語られなかったなー、と何となく、先に何でだか少年時代の夢を問われた際に思い出してたせいでひっかかってたのですが。うむ。すげえ、ハナシの逸れっぷりだ。
 

 えーと。
 沙羅さんは「冷静に(というか、彼女としては普通に)考えて、勝ち目がない戦い」に挑めるようになった。
 無謀や蛮勇ではもちろんなく。
 後続の仲間に対する礎となれるからだ(とだけ断言しちゃうのは乱暴ですが)。
 やすいコトバを使ってしまうなら「夢や希望を託せる友がいる」から。
 勝てないとわかっている戦いでも絶望しない。
 
 赤毛八重歯にだって、彼女の立場・状況なりにそういう戦いはできたんじゃないか? と思ってしまうよなあ。というハナシですけど。
 

 そこで眼鏡分の足りなさが効いてきちゃうわけですけど。
 赤毛八重歯のアタマの悪さを補う役がいないのが。
 や。あんまりなので、星人による思考制限処理とかされてる可能性さえ疑いたくなるが。
〈魔女〉を割ったらジェムがポロリ、とかあるわきゃねーだろ。
 いや。あるとは思ってないんだろうから、つまり何も考えてないわけで。
 だいたい〈魔女〉を倒して手に入るのはシードだって知ってるくせに。
 だから、まずはシードの回収を目標にすべきだろう。〈魔女〉なんてのは外付けのハードウェアに過ぎぬ、シードこそ本体、という類推ぐらいは沙羅さんなら考えるまでもない自明さだと思うが。
 どうあれ〈魔女〉は街の人々の為に一旦無害化すべきだし、心情的にも友人の為に友人だったそれが出すであろう被害者の数を可能な限りゼロに近づけたかろうしで、それなりには急ぐ必要があって。
 回収したシードをジェムに変換する方策は、また後で考えればよい。
 倫理的・心情的に問題となるのは、手持ちのシードもまた元〈魔法少女〉であろうというコトだけど。それも後回しだ。使い切ったシードを星人に管理させてたってのが悔やまれるが、とりあえず考えても仕方ない。
〈魔女〉を殺さぬよう、かつ自分ひとりで、ピンクを守りつつ戦う、とかやってるから無理心中に追い込まれてしまう。
 追い込まれる、というか、半ばそのつもり、そういう覚悟だったってハナシでもあろうけれど。
 黒髪さんに協力を要請するべきでない理由なんて根拠が薄弱すぎる。
 
 つか。元青髪の〈魔女〉、なんでヤケに強いんだよ? って気もしますが。
 それだけ彼女の絶望が深かったのだ、というポエティックな解釈は出来なくもないが。
 そもそも〈魔法〉に条理を求めるべきではないのかもしれんけど、それもなー、どうなの? 都合良過ぎじゃね? 作劇的に。
 

 作劇の都合というか、エロゲ屋さんの手癖じゃねえの? と思うコトもあって。根拠薄弱な印象論ですが。
 眼鏡分が足りないのもそうですけど。というか、それが問題そのものなんですけど。
 各ヒロインルートのパッケージング、という観点で見ると、沙羅さんが選択したような「後に託す」てのは個別エンディングとしては弱いわけじゃないですか。
 端的に言えばエロゲではバイプレイヤーを存在させにくい。
 眼鏡はバイプレイヤーのシンボルとしても機能してるわけで。
 

『JPT』とかならなー「眼鏡っコ美少女対決」とか出来る豊穣さがあるが。作中に眼鏡っコ美少女という概念があるのも素晴らしい。
『ハートキャッチ』でもそうなんだけど、変身すると裸眼になるって設定上の欠点はあるが。これは、まあ、仕方ないんだけど。女児の「お姫さまみたいになりたい」って夢と相性が悪いのだろうし。
 しかし「眼鏡っコ美少女対決」では、だからギリギリまで変身させなかった配慮がね、素晴らしい。
 

 お姫様のようになりたい、と眼鏡、といえば『デンジャラス・ビューティーhttp://bit.ly/f5oWYeは別段お姫様のようになりたいと思ってなかった眼鏡女児が長じてFBI捜査官となったけど潜入捜査の為ミス・アメリカ候補として……って『マイフェアレディ』系列のシンデレラ・ストーリーでしたが。
 アイリーンさん@『モンスター』のシンデレラ願望を思うと、ちょっとあれだが。
 それはそれとして、サンドラ・ブロックさんの眼鏡もよい眼鏡であった。最初の方ちょっとだけだけど。


 眼鏡眼鏡うるさいですか? むしろキモいですか?
 うん、まあね。そうだね。
 
 

*1:補足するなら、作中でのアイリーンさんのこの主張はまさにとってつけた借り物であって、彼女はいわゆるサバイバーとして描かれてはいない。彼女の友人の(まさにサバイバーである)帰還兵の主張にとりあえず乗ってみただけの発言だ。